こんにちは。ヤマトです。
僕は現在、無職引きこもりの21歳です。
自暴自棄になり、会社を突発的に辞めた後、現在は貯金をすり崩しながら生活しています。
今回の記事は、2か月前に兄が飛び降り自殺で亡くなった際の体験と、その出来事が僕の人生観や日々の生活に与えた影響について書いていきます。
①疎遠の父からの突然の電話
会社を辞めた後、僕はコンビニの夜勤をしながら何とか生活を繋いでました。
そんなある日、普段全く連絡を取ることのない北海道の父から突然電話がかかってきました。
「〇〇が飛び降りで死んだ」
頭が真っ白になりました。
当時の僕は精神的に不安定だったこともあり、電話越しで過呼吸になり、涙が止まりませんでした。
「兄が自殺した」
その事実を受け止めきれず、ただ泣き続けることしかできませんでした。
すると、嗚咽を漏らす僕を遮るかのように父が言いました。
「今すぐ母さんの家に行ってくれ」
母は関東に住んでおり、僕の家からそう遠くない場所に住んでいました。
父がそう言った理由はすぐに分かりました。
僕はパンパンに腫れあがった目をこすりながら、キャリーケースに服をありったけ詰め込み、電話を切ってから5分後には家を出ていました。
②電車の中で考えていたこと
母の家へ向かう電車の中では、涙を堪えるのに必死でした。
他の乗客から見たら、確実にやばいやつに見えていたと思います。
ボサボサの癖毛と泣き腫らした目に、青白い顔。
今思い返しても、なかなかインパクトのある見た目だったと思います。
ですが、不思議と落ち着いている自分もいました。
詳しい家庭環境については別の記事で書きますが、兄は長い間、多くの苦しみを抱えながら生きていました。
だからこそ、弟である僕は、兄がこのような末路を迎えてしまっても不思議ではないと前から思っていたのです。
「やっぱりこうなってしまったか」という諦めのような感情と「どうして止められなかったのだろう」という後悔が入り混じり、胸が押し潰されそうになりました。
③母の精神状態
一人暮らしをしている母の家に着くと、僕は急いでインターホンを鳴らしました。
なぜなら、母も兄の後を追ってしまうかもしれないと家族全員が考えていたからです。
それくらい母は昔から精神的に不安定だったのです。
扉を開けると、そこには変わり果てた母の姿がありました。
僕の顔を見るなり、母はその場で泣き崩れました。
張り詰めていた糸が切れたように、僕の涙も溢れ出しました。
気付けば、人生で初めて母を強く抱きしめ、一緒に泣いていました。
④兄の遺体確認
一睡もすることなく夜が明けました。
母は限界が来たのか、いつの間にか眠っていました。
兄は埼玉に住んでいため、遺体と遺留品の確認をしなければなりませんでした。
朝早く母と家を出て、電車に揺られること約2時間。
僕たちは大宮警察署に到着しました。
到着すると担当の人が立っており、何とも言えない表情で僕たちを案内してくれました。
兄の簡単な死因。
死亡日時。
遺留品や現金、貴重品の受け渡し。
全てが淡々と進んでいきました。
そして、担当の人が息を呑むように一言。
「ご遺体は確認されますか?…」
⑤遺体を見た瞬間
担当の人にそう言われたとき、心臓がドクンと大きく脈打ちました。
「怖い」
そう思いました。兄が飛び降りたという事実でさえ受け止めきれていないのに、その姿を自分の目で確認する勇気なんてありませんでした。
ですが、弟として兄が自ら選んだ姿を、この目で見ないといけない。
そう強く思いました。
僕は母と数秒目を合わせた後、「僕だけ、お願いします」と答えました。
そして、霊柩車の後ろまで案内されて、ブルーシートに覆われた兄の遺体を目の当たりにしました。
「こちらです」
担当の人がそう言うと、ブルーシートが静かにめくられました。
そこにいたのは原型がない兄の姿でした。
12階からの飛び降りだったため、遺体の損傷は激しいものでした。
半分えぐれた顔。
全身に広がる痣
こびりついた血痕。
そして確かにある面影。
気付けば嗚咽が漏れ、涙が止まりませんでした。
そのとき初めて、兄の死を現実として受け止めた気がしました。
そして兄は、こんな姿になることさえ厭わないほど、生きることに苦しんでいたのかと思いました。
今の僕には想像もできないほどの苦しみを一人で抱えていたのだと思いました。
⑥9年ぶりの家族集結
兄の遺体を搬送してもらった後、その日の便で母と一緒に北海道へ向かいました。
この時点で既に30時間以上寝ていなかったにも関わらず、不思議と飛行機の中で眠気に襲われることはありませんでした。
気が付けば、窓の外には懐かしい故郷の光景が見えてきました。
空港に到着すると、父と姉が車で迎えに来ていました。父と母が顔を合わせるのは約9年ぶりのことでした。
皮肉にも兄の死によって家族が再び集まることになったのです。
⑦「兄の遺体が怖い」という母と姉
兄の遺体は羽田空港から空輸で北海道まで運ばれ、5日間にわたって実家で家族葬を行うことになりました。
それは、兄が生前、そして亡くなる直前まで嫌っていた父の意向によるものでした。
父は兄と8年間会っていなかったのです。
兄の遺体が家にある間、母と姉はずっと
「怖い」
と言っていました。
母と姉は、兄が亡くなる一週間前に母の家で会ったばかりでした。
その時の兄に、特別変わった様子はなかったようです。
なので、二人とも兄が死んだとは本気で思っていない様子でした。
「あれは誰?〇〇じゃない」
と何度も僕に言うのです。
実際、その5日間、母と姉は兄の顔をほとんど見ようとはしませんでした。
⑧父への嫌悪感
一方で、僕と父にはそういう感覚は特にありませんでした。
むしろ、一番兄に無関心だったはずの父が、誰よりも兄の遺体のそばから離れようとしなかったのです。
その姿を見て、僕は強い嫌悪感を抱きました。
兄が生きている間はほとんど愛情を与えなかった父が、死んだ途端、急に父親らしく振舞っているように見えてしまったのです。
以前、僕と父が口論になった際、僕は父にこんなことを言いました。
「俺か兄が自殺しても、何とも思わなさそうだよな」
父は兄の遺体を見て顔では泣いていましたが、妙にケロッとしているようにも見えてしまったのです。
⑨兄の部屋に置いてあった家族写真と絵
兄の部屋の片づけに行ったところ、当時関係のあった彼女に向けた遺書の他に、ソファに置かれた二つのものが目に入りました。
13年前に最後に撮った家族写真。
そして母に向けて描かれた一枚の絵です。
それらが偶然そこに置かれていたとは、とても思えませんでした。


兄の本当の気持ちは分かりません。
ですが、僕には兄が最後に家族へ何かを伝えようとしていたように思えました。
家を出て行ってから家族とほとんど連絡を取らなかった兄。
兄はもう家族のことなどどうでもいいのだろうと僕は思っていました。
しかし、兄が最後に残したものは家族に向けたものでした。
なぜ、母は子供を捨てて自分の人生を選んだのか。
なぜ、最後まで自分の口から本当のことを言ってくれなかったのか。
そして、父のことは嫌いだったけれど、家族がバラバラになる前は幸せだった。
そんな思いが込められているのではないかと僕は感じています。
なぜなら、僕も兄と同じ気持ちだからです。
兄の苦しみや葛藤を、少しは理解できる気がするのです。
綺麗事かもしれません。
それでも僕は、兄が最後に家族へ愛を伝えてくれた気がして、うれしかったんです。
⑩心情の変化とこれからの人生
僕は現在、21歳で引きこもりの生活をしています。
兄が亡くなる前から、鬱病のような状態で、会社を辞めた後は半年ほど家に引きこもっていました。
兄の出来事が全て終わった後も、生活は以前と何一つ変わりません。
心に空いた大きな穴。
今の自分が置かれている状況。
これからの人生、生きていればいいことがあるなんて期待はしていません。
それでも、時間は過ぎていきます。
生きていくしかない。兄の分まで。
ただ、以前とまったく変わらない日々の中で、ほんの少しだけ、
自分の中に漠然とした覚悟のようなものが生まれた気がしています。
それは、真っ当に生きる覚悟なのか。
堕落してもなお、生きる覚悟なのか。
不条理を受け入れる覚悟なのか。
幸せになる覚悟なのか。
今の僕には、まだ分かりません。

コメント
動画から来ました
私は弟が自殺しています。
当時付き合っていたメンヘラっぽい彼女に連れ回された結果でした。死んだのは弟1人。
似たような家庭環境で、私も弟の死が知らされた時に、十数年ぶりに家族が揃いました。
警察の取調室(待機室)みたいなところで、みんな頭がおかしくなって笑いながら話してました。何年も離れてたのに、昨日まで一緒にいたみたいに。警察官からしたらキチガイ家族だったと思います。
父が遺体を確認して帰ってきて、「綺麗だった」と言った時の、母のホッとした顔が忘れられません。私は、父親が父親っぽい仕草をしているのを見たのがこの時が最初で最後だった為、気持ち悪いなぁと思っていました。
幸いといいますか、弟は死因が練炭であり、時期も冬だったので行方不明になってから数日で見つかり、遺体は綺麗でした。
自殺を決断したのは弟でも、私は、いまだに、弟の自殺に寄与したであろうあの女は許せません。弟が自殺するような地盤を作った家庭環境もクソだと思ってます。(まぁ、実家は1世代1人は自殺してる自殺一族なので、「血だろw」と侮蔑されたら何とも言えないですが)
でも、今日も私は生きたし、家族も元気に生きています。だからこれでいいと、自分にいい続けています。
話すだけで楽になることもあります。
長々とすみません。毎秒自分と決着つけながら、死ぬまでは生きていきましょう。私も頑張ります。